西門町は日本の原宿というか渋谷というかそんな感じの街です。
しかし、古くは 映画の街として知られ、日本統治時代から、2016年現在でも複数の映画館が立ち並んでいる。
西門町という名は正式な地名ではなく通称だが、もとは日本統治時代の町名だった。元々、西門町は、現在の地名では成都路・西寧南路・昆明街・康定路にあたる。これが廃止後も通称として残った訳だが、戦後の西門町という商業地区は、日本統治時代の町名・西門町より広く、昔の若竹町と新起町も含まれている。
「町」の字は本来田畑のあぜ道を指す字であり、日本語以外で「町」は「街」の意味で使われていないため、西門町は中国語圏では特殊な用字の地名である。本来であれば中国語では町名などの地名には「街」の字が普通である。
かつての台北城西門の外側にあたる地域で、日本統治時代初期1890年代後半、門外に浅草のような日本人向け繁華街が建設された。その中でも初期に建設された娯楽施設は台北座(1897年)や栄座(1902年)であり、1908年に完成した西門市場の赤レンガの建物・八角堂(西門紅楼)は現残している。
第二次世界大戦後、中華民国とともに大陸から逃れてきた人々の繁華街として発展した。1950年代から1960年代にかけてはダンスホールや「紅包場」と呼ばれる歌劇場(歌庁)が立ち並び、戦前の上海歌謡や香港の流行歌謡などが演奏され、四海幇など黒社会組織が西門町を足場に暗躍したのもこの時期である。
1980年代には台北東部の新市街(市庁地区)の発展により活気を失っていた西門町は、1990年代後半以降、歩行者天国となり車の立ち入りが制限され、年配向けの繁華街から若者向けの繁華街への転換が進み現在に至っている。
地下鉄の西門町の駅を降りて6番出口から地上にでると左側に見える日本統治時代のレンガ造りの建物です。1908年に日本人建築家の近藤十郎が市場として設計したもので、現在は、劇場やカフェ、お土産店などが入った複合施設になっています。
後は、原宿の様にメイン通りはなく漢中路に沿って目的のお店を探せして歩くのが一番です。
1.チャイナシューズの専門店。
2.華流、韓流、アーティストのCDや日本のCDに店。
3.カツオのスープの麺線の店。
4.50年以上の歴史の台湾風おでんの店。
5.50年の老舗でパイナップルとスターフルーツをシロップで煮たものが入ったかき氷。
6.お待ちかねのマンゴーアイスですが、漢中路をまっすぐ歩いてゆくと、漢口街二段の交差点前。タピオカ&練乳無料トッピング券をもらい、早速店内へ!店内には学生に人気ということもあって壁にらくがきがたくさんあります。こちらに来たら絶対食べたいのが雪花冰。そしてその雪花冰にも2種類あって、純○○雪花冰と書いてあるものは○○の味がする氷で、ただ雪花冰と書かれてあるのはミルクの味がする氷です。タピオカミルクテイもお忘れなく。気になる料金は150元でおつりが来ます。
扨、西門町の営業時間は基本的には11:00~22:00と覚えてください。
早く始める店。遅くまでの店等々ありますが、絶対に9:00や10:00は早すぎます。
Hiro from 気ままに歩こう!台湾
0コメント